社会人生活を送る上で仕事の成果が評価されると、昇進・昇格の話が上司から持ち掛けられることがあります。
晴れて仕事の成果が認められ昇進・昇格することで、基本的には給料が上がり、それと共に責任も重くなることになります。
一昔前までは昇進することが華であり、より上を目指して頑張ることが当たり前でしたが、現代では必ずしもそうではなくなって来ていますね。
体を壊して一人前、鬱になって一人前、などと半ば武勇伝の様に語られることもありますね。
ですがそこまでして働いて、寿命を縮めてまでお金を手にすることが果たして幸せでしょうか?
正直年収1000万円で立場的な負担、税率増加による金銭的負担と比較すると、窓際族でも収入はそこそこ、プライベートは充実!の方に価値観を見出す方も多いはず。
ここでは出世することが本当に幸せなことなのか考えてみます。
出世=昇進・昇格し給与が上がる
出世するということは、昇進・昇格し役職が上がることで、それだけ得られる対価も大きくなります。
つまり給料が上がることになりますね。給料が上がるとその分生活の質が上がり、また欲しいものが買える様になるため、生活の満足度は高くなります。
物欲を満たすことができることによる満足度は極めて高く、将来への金銭的不安を解消できることも精神安定上大きいです。
ですが、失うものは本当にないでしょうか?サラリーマンで年収1000万円得るために費やす時間と体力は相当なものがあり、家族との時間を多かれ少なかれ犠牲にして得られるものです。
出世すると失うものも多い
出世し昇進・昇格するとただ与えられた仕事をこなすだけではなく、人によっては部下がつく様になり、またある人は責任の思い仕事を任される様になります。
私自身も昇進・昇格するにつれて、守備範囲が大幅に広くなり、抱える業務もかなり多くなりました。
責任が伴う様になってくると、神経をすり減らして仕事するシーンが多くなってきた様に感じます。
ストレス耐性もついてきますが、それ以上に一度に複数の仕事を効率良く回す必要性が出てくるわけですね。
高い対価と引き換えに長時間拘束され、家族と過ごす時間もほとんど無くなってしまう、なんてこともあり得ます。
出世を望む=会社と心中することではない
出世を望む、望まないは人それぞれであり、人それぞれの価値観に依存します。ですが出世を望みその道を突き進んでいくタイプとは、言い換えればその会社で一生を捧げ、会社の行く末と共に歩んでいくことです。
私は景気に敏感な業界でエンジニアをしていますが、業績や会社の不具合に応じて残業有無やボーナスの増減により年収は安定しません。
出世を望まないと言えば嘘になります。収入は大いに越したことはありませんから。
ですが言いたいことは、出世をしたいがために会社のために、責任感だけでサービス残業や家族を犠牲にすることは望ましい状況ではないと考えます。
会社のため、出世のために体に鞭打って働き倒し、身体を壊してしまっては、結局何のために働いていたの?となりかねませんからね。
出世を望む=会社と心中すること、ではないということです。
私は自分の会社は好きですが、適度な距離感を取って業務に携わっています。
まとめ
生活を豊かにするために収入を増やす。そのポピュラーな手段の一つとして、労働収入を増やす=出世し昇進・昇格することで給与を増やす、があります。
中には仕事が楽しくて仕方ない超人的な方もいると思いますが、そうで無い方が大半では無いでしょうか?
・出世を志し行動することは、生活を豊かにする上で確かに大事
・出世を望む=会社と心中することではない
・出世を望み突き進み、失敗したら何も残らないリスクがある
私は会社に対して愛着があり、仕事にもやりがいを感じていますが、あくまで人生の重点として仕事<家族&自分だと考えています。
人それぞれ価値観がありますので、こんな考え方もあるんだな、ということで参考にして頂けると幸いです。